『月まで三キロ』

  • 2025年8月19日
  • 2025年8月20日
  • 小説
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 今日もお疲れさまでした。

 あなたは忙しい毎日でも、少しでも自分の好きなことをできていますか?
 今日は自分の好きなこと・楽しいことを忘れてしまっている人に届いてほしい言葉です。

 なぜ、わたしは自分の人生を生きているところを、あの子たちに見せてやらなかったのか

 伊予原新(2021).『月まで三キロ』株式会社新潮社

 『月まで三キロ』に収録されている中の一遍『山を刻む』に登場する言葉です。
 ある母親が子ども達に自分の好きなことを伝えてこなかったのを後悔している一文です。

<言葉についてのあらすじ>

 主人公は50代の女性。栃木県にある日光白根山(しらねさん)に高山植物の撮影に来ていた。

 途中で火山の研究をしに来ていた男性二人と出会う。一方は40代くらいの大学の先生で、もう片方は20代の大学院の院生だった。

 二人は火山の噴火について知るために、山の層や溶岩、堆積物を調べていた。山の斜面を観察し、ハンマーでこそいだりしながら調べるその作業を『山を刻む』と彼らは表現していた。

 『山を刻む』・・・。

 主人公はそれを聞いて思った。わたしも山のようなものだ。
 家族みんなで、わたしを刻んでいる。わたしの心を。わたしの愛を・・・。

 埼玉にある我が家は義父が建てた一軒家で、多い時には6人と3匹が暮らしていた。
 義父母と夫とわたし、娘と息子、犬1頭とインコ2羽。

 家族はそれぞれ好き勝手なことを言い、求め、わたしはひたすらそれに応える。

 誰もわたしに感謝したりはしない。わたしの心をおもんぱかったり、体を気遣ったりしない。
 いつしかわたしは家族にとって切り刻んでもかまわない存在になっていた。

 夫は家のことに無関心だった。実家を離れたことがないので家のことは何もできない。
 子どものことは宿題一つ見てやったことはなく、この間は娘が出た高校の名前を言えなかった。

 義母は家事が不得意だった。家事をそれなりにこなせるわたしに対していつも嫌味を言う。

 また義母は体が丈夫でなく、脚も悪い。10年前に義父が脳梗塞で倒れたときは、義母は体のことを言い訳に介護をすべてわたしに丸投げしてきた。

 息子の晴彦は高校、大学と受験に失敗し、就活にもあまり力を入れられず、内定が出た一つのIT企業にあっさり就職を決めた。
 しかしそこを2年で退職。突然家に帰ってきて言う。「会社辞めた。ブラックだった」

 その後も就活もアルバイトもまともにせず、近頃は怪しい投資に手を出そうとしていた。
 それを止めようとすると息子は言う「この時代、安い給料で地道に働く奴はバカだ」

 息子は少し辛抱が足りないところがある。姉の麻衣と比べて甘やかして育ててしまったからだろう。

 出会った火山学者の先生は、大学で火山学に惹かれ、腰をすえて勉強を始めたとのこと。
 先生は言う「火山学者になってみてわかった。自分のしていることの重要さが。この活動は人を救うことにつながっている」と。

 わたしはそれを聞いて思った。
 この人は、なりたいものに、なる価値のあるものに、ちゃんとなった人なのだ。

 一方で、わたしは娘の麻衣にとって一番『なりたくない』ものになっていた。
 面と向かって「わたし、お母さんみたいにはなりたくないから」と言われたのは何度もあった。

 麻衣のことは初の子どもということもあり、厳しくしつけてしまった。
 そんな娘も弟が甘やかされてるのを見て心がうねっていたのだろう。

 麻衣は県立高校から都内の有名女子大への進学を一人で決め、大学卒業後はわたしと夫が止めるのも無視し、フランスへ留学。その1年後にフランス人男性を連れて帰ってきた。

 それから5年、今もそのフランス人と同棲し、高級外資系ホテルに勤めている。

 海外を飛び回る仕事。麻衣はそういったものに夢があるのだろう。

 古い家の中をちょこまか動き回り、自転車で近所のスーパーと往復するだけの自分とは正反対だ。

 でも、わたしにも20歳の頃があり、20歳の夢があった。
 わたしはずっと山岳写真家になりたかった。

 中1のときに登山と出会い、短大では山岳サークルに入り、高山植物に魅せられ、写真に収めたくて、山荘でバイトをして高級カメラを買った。
 そして撮った写真をコンクールに投稿していた。

 就職した後も山への想いは消えず、写真を本格的に勉強したいとも思った。
 でも結婚して、出産し、山に行くことはなくなった。

 カメラの手入れこそ毎日していたが、やがて山への想いは徐々に消えてしまっていた。

 火山学者の先生に同行していた大学院生の男性は、先生のことについてこう話す。

 「先生は自分がやってることが世界一面白いって、マジで思ってますからね」
 「あの先生と一緒なら、この火山研究を将来やっててよかったって思える確率、高いと思うんです」
 「好きなことだけやって生きてる大人、初めて見ましたから。そんな人、マジで存在するんだって、衝撃で」

 主人公は彼の言っていることがわかる気がした。つまり彼は好きなことを突き詰めて生き生きとしている先生の生き方に感染したいのだ。

 それに比べて親としてのわたしは、子どもたちにそう思ってもらえるような生き方を全くできていなかった。

 山を下りるとき、心地よい風が吹いた。気持ち良さそうに手を広げる学生に対して先生は言った。

 「山って、いいだろ」

 その時、わたしの足が止まった。

 山って、いいでしょ———。

 わたしはそのセリフを子どもたちの前で一度も言ったことがない。

 なぜわたしは、今まで一度も、あの子たちを山に連れてきてやらなかったのか。

 なぜわたしは二人の前で押しつけがましいほど大好きな山の魅力を語ってやらなかったのか。

 なぜ

 なぜわたしは

 自分の人生を生きているところを、あの子たちに見せてやらなかったのか

 主人公は思う。わたしの一番の失敗は、きっとそれだ。

<まとめ>

 自分の好きなことを追及して自分の人生を生きている人は魅力的に見えます。

 そして生き生きとしている人は、周りの人たちにも元気を与える力もあると思います。

 反対に自分の好きなことを押し殺し、またはそれを忘れ、冴えない表情で日々のTo Doリストに追われて生きているような人に魅力を感じるでしょうか?

 この物語の主人公は母親として家族を支えるために、様々なことに耐え、本当に頑張ってきました。

 でも自分の好きなことをせず、ただただ周囲の人達に振り回されて生きる。
 そんな自分がない、自分の人生を生きていない母親を見て、子どもたちは思ってしまったのです。


 「こうはなりたくない」


 この母親は家族みんなに振り回されて、家族にとってわたしは切り刻んでもかまわない存在だと、自分を被害者のように語っています。

 でももしかしたら、家族の人たちをそのようにさせた原因は、このような生き方をしているこの母親にもあったのかもしれません。とても残酷ではありますが。


 毎日に忙殺されて、または周りの人たちのことだけを考えすぎて、自分のことを想う余裕がなくなってしまうときもあるでしょう。

 でも自分の好き・楽しいはかけがえのない財産です。

 絶対に忘れないでください。

 あなたの人生は、誰のものでもない、あなたの自身のもの です。

 
 自分の人生を生きましょう。
 

 今回紹介させていただきました『月まで三キロ』は科学の世界と人間のドラマを上手く融合させた6つの短編からなる小説です。月や天気、粒子といった科学的な事象を人同士の関係性や境遇、人の生き方に落とし込んだとても面白い作品でした。
 気になった人はぜひ読んでみてください。
 

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